[back]

Lylica第6章
2003年5月
有羽 作


 夏も真っ盛りを迎えていた。
図書館の中は静かだったけれど、一歩外に出れば思考も邪魔されるぐらいの蝉時雨だった。

 滝沢くんとはあれ以来会ってはいなかったけれど、相変わらずメールのやり取りだけは続いていた。
でも、一週間以上もいきなり途絶えたり、そうかと思えば毎日のように送りあったり、続いていることのほうが不思議だった。

 残業を終えてマンションに帰ると、ポストに友達からのハガキが届いていた。
毎年この季節がくると届くこの知らせも、もう今年で3回目だ。
今年も例年のごとく龍一の命日に、仲間たちがよくつるんでいたマリーナにあるあの店に集まることになっていた。
でも、私は悩んでいた。
仲間と会って昔話や龍一の思い出話しをすることは私にとってはあまり楽しいことではなかった。
だって、それは私の中ではまだ思い出と呼ぶには辛すぎて、そんな私の気持ちを誰かが悟ってしまうのではないかと思うと、いつも私は必要以上にはしゃぎ続けた。
そして、一人になった時心底落ち込んだ。
私は新しい私になりたい。
でも、無理に龍一のことを忘れることなんてやっぱりできなかった。

 2週間あまりが過ぎた。
私は滝沢くんに会いたいってメールした。
8月10日・・・どうしてもその日に彼に会いたかった。
滝沢くんはその日は仕事があるから駄目だといった。
次の日じゃだめかなって。
やっぱり、我がまま言って彼を困らせてはいけない。
8月10日がやって来た。
当初その日は休暇をとっていたのだけれど、私は普段どおりに出勤した。
休みだと思っていた同僚は驚いていた。
なんてことはない一日だ。
今ごろ昔の仲間たちは私が現れないことをどう思っているんだろう。
でも、私だけじゃない・・・きっと誰もが感じ始めている。
過ぎてしまった時を懐かしむことはいつだってできる。
でも、今が幸せじゃなければ過去は何の意味も持たない。
私はいつものように残業もこなし、普段どおり狭いマンションの部屋へ帰った。

 コーヒーを飲みながらぼんやりと過ごしていると、11時過ぎ頃携帯の着信音が鳴った。
滝沢くんだった。
「今、仕事が終わって家に着いたところ。なんなら、今から車とばして会いに行こうか?」
「いいよ、疲れてるんでしょ。無理しなくっても。彼氏でもないんだし・・・。」
その時は私のそんな一言が彼を傷つけているなんて思いもしなかった。
「そんなこと言われなくたって分かってるよ。でもリリカさんはもう、俺にとって友達以上の存在なんだから。」
「ありがとう・・・。無理に会いたいって言ったのは私なのに、ごめんね。」
携帯電話の向こう側で‘カチャッ’というライターをつける音が聞こえた。
「また、タバコ吸っているんでしょう。本数増えているんじゃない?」
「そうかな?忙しくなるとどうしてもね。体によくないって心配してくれてるの?」
「一応ね。私のつまらない詩集に感動してくれた数少ないひとりだしね。だって、あの“滝沢秀明”が私の詩に感動したんだよ。ちょっと凄いなって思って。」
「ははは・・・リリカさんどうしたかなって少し心配だったけど、大丈夫みたいだね。よかった。でも、今日にこだわっていたのはなにか理由があるの?」
彼は突然核心に触れてきた。
「別に。ただ単に暇だったから。休みを取っていて、友達と出かけるはずだったんだけど、急にふられちゃって君を誘ってみただけ。平日、暇な人間なんて、そうはいないでしょ。」
「なーんだ。8月10日がなんか特別な日なのかと思っちゃった。たとえばさあ、大失恋した記念日とか・・・。」
彼のそんな冗談に、内心どきりとした。
「滝沢くん元気だね。もう12時過ぎてるし、なんかちょっと眠くなってきちゃった。このまま眠っちゃいたい気分だな・・・。このまま眠ったら君の夢をみそう。」
「そうなの?じゃあ、眠っちゃっていいよ。そしたら俺、朝までずっとリリカさんの夢に向かって話しかけるから。なんなら、歌っちゃおうか?」
目を閉じるとタバコのけむりをくゆらせながら、私に向かって話しかけている彼が見えたような気がした。
「明日も仕事でしょ?」
「うん。」
「貴重な睡眠時間を私の為に削っちゃって、ごめんね。もう切るから。」
「おやすみ。」
彼はそう言った。
「おやすみなさい。」
そう言って私は携帯の電源を切った。



 彼女と会えない長い夏が過ぎた。
いつも夏は大好きなはずなのに、今年は全然楽しくなかった。

“ぴったり抱きあって一晩じゅう すべてはうまくいく きみとふたりだけでいれば・・・”

俺は間違いなく恋をしていた。
そして、例の本の中のディランも、こんな風に内省的な恋の詩ばかりを語り始めていた。

 本当はいつだって会いに行きたいのに、何だか近頃は変に意識しちゃって普通に電話するのも難しい。
俺って本当はこんなキャラだったんだ。
でも、今ひそかに彼女を喜ばす為の秘策を練っているんだ。
この前電話で話した時のことだった。
「今ね、殺風景な部屋を何とかしたいと思って、観用植物を置いたり、色々模様替えしているんだけれど何か物足りないの。そうだ、可愛いテーブルがあったらいいかもって思って探しているんだけれど、今ひとつこれっていうものがないんだよね。」
「ふーん。で、どんなものを探しているの?」
「ふたりがけくらいの小さなテーブルで、形は丸くって素朴な可愛い感じのもの。どこかで見つけたら、教えてよ。」
彼女はそう言った。

 俺は暇さえあると色々な店を探し続けた。
でも、彼女が気に入るであろう“丸くて小さくて可愛いテーブル”はどこにも見つからなかった。
そうだ、どこにもないのなら作ってしまおう!どうして今までこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。
でも、この考えはひたすら無謀だった。
だって今までプラモデルでさえろくに作ったことがない俺なのに。
俺はリリカさんにメールを送った。
‘しばらく、仕事で海外に行くので、連絡出来ないかも知れない。’って。
もちろんそれは嘘だった。
本当は前にドラマでお世話になった大道具さんの工房に入り浸っていた。
休みの日は一日中、仕事のある日は合間を縫って通いつめた。
そして、一ヶ月くらいかかってやっとそれは完成した。
‘普通はこんなに時間掛けないよ。まあ、よく途中であきらめなかったよね。’と手伝ってくれたスタッフさんに言われた。

 日曜日の夕方、仕事が終わった後、リリカさんに電話した。
「滝沢インテリアですが、お届けものがあります。今からそっちへ配達に伺ってよろしいでしょうか?」
彼女はきつねにつままれたような声で、
「あ、はい。いいですけれど・・・。」
と答えた。
俺はテーブルを車の後部スペースに積み込むと彼女の家に向かって出発した。
‘いったい、どんな顔するだろう。喜んでくれるかな?’不安な気持ちとわくわくするような気持ちが交互に俺の中で揺れ動いていた。
リリカさんのマンションへは前に一度だけ送って行ったことがあった。
マンションのインターホンを押すと中から彼女が顔をだした。
俺だと分かるとすぐに外へ出てきた。
「どうしたの?いつ帰って来たの?」
「まあ、その話しは後でするから・・・。あのさ、前に話していたテーブルなんだけど、気に入るか分かんないけれど、今、車に積んであるんだ。持ってくるからちょっとこのまま待っていてよ。」
俺はそう言うと、再び車の所まで戻り、テーブルを担いでまた彼女の部屋の前に戻った。
彼女の部屋はマンションの三階で、非常階段をテーブルを担いで昇るのはかなりきつかった。
初めて、リリカさんの部屋へ入った。
殺風景だと彼女は言っていたが、俺の部屋に比べたら数段、住み心地のよさそうな部屋だった。
「ここに置いて。」
彼女に言われるがまま、俺はそれをリビングの奥の窓際のスペースに置いた。
彼女はあらためてそのテーブルを眺めた。
「うん、いい。すごく可愛い!」
彼女はにこにことそのテーブルのまわりを一回りした。
「よく見ると、ちょっと不細工だけどね。なんたって、“メイド・イン・滝沢”だからさ。」
そう言うと、彼女は目をまん丸くして、
「本当に?」
って聞いた。
俺がうなずくと、
「凄い!!」
って言って笑った。
「ひょっとして、海外に行くって言っていたのは嘘?」
そう聞くから、俺はこのテーブルを作るために知り合いの工房に入り浸っていたことを白状した。
「私なんかの為にありがとう。嬉しくってどうしたらいいのか分からない」
と彼女は言った。
「どうしょうもしなくていいよ。そうやって、喜んでくれるだけで俺の苦労は報われるんだから・・・。」
そう答えて、俺たちはそのテーブルの前に向かいあってコーヒーを飲むことにした。
ちょうどよい椅子がなかったのでとりあえず、ソファだとかその辺にあったごみ箱のようなものの上に座って、会えなかった間の出来事をお互いに語り合った。
リビングの真中には大きなピアノが置いてあった。
「ピアノ弾くんだ・・・。」
そう言うと、彼女は
「あんまり・・・ただ捨てられなくて持ってきちゃっただけなの。」
と言い、また俺の話題に話しを戻した。
あっという間に時間は過ぎた。
もう仕事に出かけなきゃいけない。
俺がそう告げると、彼女は
「今度、いつ会えるのかな?メールや電話もいいけれどやっぱり会えないと寂しいよね。」
そう言った。
俺は素直に嬉しかった。
「秋のコンサート・ツアーが始まるんだ。よかったら、チケット送るから見に来てよ。」
そう言って俺はその日はそのまま仕事場へ向かった。




 いきなり電話が掛かってきたかと思ったら、あっという間に滝沢くんは私のマンションまでやって来た。
海外へ行くと言っていたのはどうやら嘘だったらしい。
でも、何の音沙汰もなかった間、彼は私の為に、知り合いの工房まで行って私が欲しがっていたテーブルを自分で作っていたらしい。
なんでも、プラモデルもあまり作ったことがなかった彼は、金槌で指を何度も打ったと言い、恥ずかしそうに笑った。
実際、指に2箇所くらい判ソウコウを張っていた。
私は心の中で何度も‘ありがとう’って呟いた。
驚いて、嬉しくって、もう少しで涙がこぼれてきそうだった。
彼は嘘つきだ。
でも、その嘘は私を喜ばす為の嘘で、そこには何よりも大切な気持ちがいっぱい詰まっていた。
それから、その“丸くて小さくて可愛いテーブル”と私は生活を共にした。
食事をする時、本を読むとき・・・生活の色々な場面でそのテーブルはいつも私の側にあった。
彼が打った釘の跡、ペンキの小さな塗り残しでさえも愛しく思えた。
だって、そんなところにも彼の愛情が感じられたから。
この無機質だった部屋も、もう殺風景ではなかった。

 彼が訪ねてきた一週間後に、彼からコンサートのチケットが届いた。
私は約束どおり彼のステージを見届けた。
私に送ってきたあの詩に曲がつくと、こんな風にイメージが変化するのかと新鮮な思いで彼のステージを見ていた。
やっぱりメールを貰った時に、彼の詩について色々意見しなくてよかったと思った。
たとえ詩を作った時の表現が未熟だったとしても、それにメロディーがつき、さらには歌うという新たな表現が加わることで、それは詩を読んでいた時とは全く別のものになってしまう。
時にはプラスの要素が加わることもあれば、また逆の場合もありうる。
そして彼はまだ未熟なのだろうが、私の胸には彼の歌は十分に響いた。
詩だけを見たときの数倍の輝きをそれらは放っていた。
でも客観的に見てどうなのか、本当のことを言うと私にはよく分からなかった。
後になって気がついたが、きっとそれは私が彼に恋愛感情を抱きはじめていた証拠かもしれなかった。

 秋が過ぎ冬が来た。
鈍感な私にもやっと、恋の自覚症状が現れはじめていた。
そんなに頻繁には会えなかったけれど、それでも二週間に一度くらいは滝沢くんと会うことができた。
ほんとに短い時間でも、顔がみられれば満足だった。
毎日が彼の為に成立していた。
彼と会うため休みが欲しいから、いつもより多めの残業をこなした。
彼のために料理も作った。
彼のためになにかをすること・・・それは輝かしい歓喜で私を貫いた。
滝沢くんは、‘また詩を作ってよ。’と言ったが、さすがにそれはまだ無理みたいだった。

 12月になると今までの日々が夢だったように、彼とは会えなくなってしまった。
クリスマスが過ぎ暮れが来て、新しい年になっても相変わらず彼は忙しく、会えない時間だけが虚しく過ぎていった。
そして、私の彼を恋しく思う気持ちばかりが募っていった。

つづく
                           

[top]