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Lylica第5章
2003年5月
有羽 作


 滝沢くんと会った翌日は、小雨の降る休日だった。
少し遅めに起きると彼からもうメールが届いていた。
電話してくれたらもっと嬉しかったのに・・・なんて夕べ会ったばかりで、早速、メールをくれただけでもありがたいのに、私ったら何を考えているんだろう。
でも、昨日別れ際に、今度いつ会えるのか分からないと思ったら少しだけ寂しくなってしまった。
恋人でもないのに。

 彼のメールは、ちょっとだけ支離滅裂だった。
でも、呼びかけが‘垰野(たおの)さん’から‘リリカさん’に変化していて前よりも距離が近づいた気がした。


  リリカさんへ

  昨日はとっても楽しかった。
  前よりも少しだけ明るくなったけれど
  やっぱり何かあった?
  それから、ディランの詩集ありがとう!
  大切なものだと思うから
  本当に俺なんかにくれてよかったの?
  いきなり英語の原文を開いて
  ‘アチャー! やばい!’って思ったけど
  もう一冊が日本語訳なんで安心した。
  思わず、嫌がらせかと思っちゃったよ。
  でもさ、仕事でこれでもチャリティー活動とか
  している俺にとっては
  なんだかこたえる内容のものもあったりして
  正直、夕べはかなり凹んだ。

  でも、リリカさんがこんな本読むなんて
  イメージじゃなかったな。
  だってさ、実際書いているものは
  全然違う気がするから。
  ほんとに貰っていいんでしょうか?
  取返したいときは遠慮しないで言ってよ。
  それを口実に又会いに行くから。

  それじゃ、お休みを満喫してください!

             馬車馬のように働く 滝沢より



 ディランの全詩集を早速読んでみたようで、政治的で攻撃的な表現に早くもダメージを受けてしまったみたいだ。
やっぱりふざけてばかりいるようで、案外ナイーブなんだな。
そして、こんなふうにも言ってきた。
‘きっとリリカさんにとって大切な本だと思うから、貰っちゃ悪いような気がする。’そんなような表現があちこちにあった。
もうあまり読みたくないのかしら?
どういうつもりでそんなふうに言っているのか、今ひとつよく分からない。
私は小雨に濡れている窓ガラスに額をくっつけてみた。
まあいいや・・・私が持っていても過去に戻ってしまうだけだけれど、私の過去の遺物を滝沢くんに無理におしつけるのも変だ。
だから、放って置かれたらきっとそれはそれだけの価値しかなかったものとあきらめよう。

 私は気を取り直して、外出のため身支度を整えた。
この殺風景な部屋にもそろそろ彩りが必要だもの。
気分転換に観用植物でもおいてみようかな・・・。
そう考えるとなんだか楽しくなってきた。
そう、本当は一人暮らしは気ままで楽しくなきゃいけない。
そうでなければ、好き好んで、一人で暮らしている意味なんてないのかも。
私はジャケットを羽織ると、靴を履き、マンションの扉を開けて小雨の街に出て行った。




 リリカさんになんとかメールを送ったが、ずうっと気分が晴れない。
それは、ディランの詩のせいなんかじゃなかった。
そう、あの小さな紙切れのせいだ。
分かりやすくいうと“ジェラシー”っていう厄介な奴が俺の心を支配して、いなくなってくれない。
忘れようとすればするほどに、俺はそいつに苦しめられた。
せめてこんな時、彼女の顔がみられれば、声が聞ければ、いやせめてメールだけでもいいから来ないかな。
おもいっきり変装して、彼女の仕事場へこっそり顔を見に行ってしまおうか。
なんかストーカーみたいで格好悪い。
かえって変に思われてしまう。

 悶々とした日が何日か経った頃、珍しくリリカさんの方からメールを送ってきた。

  滝沢くんへ

  元気にしていますか?
  ディランは読んでいますか?
  今時、ロック史に興味がある人ぐらいしか
  ディランなんて知らないよね。
  政治的な表現が多くてまいっちゃうでしょう。

  でもね、最後の方にいくにつれ
  彼は少しずつ変わっていきます。
  彼は恋をするんです。
  恋人の名は“スーズ・ロトロ”
  とても美人で自立心の旺盛な女性です。
  それで愛に関することだとか
  内省的な表現が増えていくの。
  だから頑張って読んでみて。
  何かしら共感できると思います。
  だから、‘返す’なんて言わないで。
  つまらなかったら、本棚の肥やしにでも
  してやってください。
  今はつまらなくても、いつか分かる日が
  くるかもしれないでしょう?

  話しは変わりますが仕事の方は
  順調ですか?
  あんな本を読ませたせいで
  やる気がなえたら困るな。
  男はタフでなきゃ・・・
  ある日突然、全てが変えられる訳ないのだから。
  まだ今は色々な世界を見て傷つくのも
  いいんじゃないでしょうか。
  でもその言葉は、私にも返ってくるね。
  私も今は変わろうとして奮闘中です。
  次に会うときは又新しい私で
  会えるといいのにね。
  それではまたメールします。

                       リリカ



 ことあるごとにリリカさんは‘変わりたい’っていうけれど、一体なにがあったんだろう。
あの紙切れのことといい、聞きたいことが山程あるのに何もかもが触れてはいけないことみたいで、俺にはどうすることもできない。
でも、俺と会っている時のリリカさんはそんなこと微塵も感じさせなかった。
無理しているんだろうか?
せめて俺とメールしたり、会って話したりすることが少しでも彼女の救いになればいいけれど。

 俺は久しぶりに彼女の詩集を開いた。
“ディランとスーズ”か・・・。
彼女の言葉がなぜだか“スーズ・ロトロ”というディランの恋人のイメージとダブってみえた。
ひょっとして、俺が嫉妬している相手はボブ・ディランなのかなあ。
だったら当然太刀打ちできない。
戦う前からもうすっかり戦意を喪失していた。
もう何日もこんな嫉妬と苛立ちを感じているんだ。
俺は彼女に恋しているのか?
でも今は自分でもよく分からなかった。
ただ、リリカさんがあまり幸せじゃないのなら・・・うぬぼれかも知れないけれど、俺が救ってあげられることはないんだろうか?


つづく
                           

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