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Lylica第4章
2003年5月
有羽 作


 あれから何度となく、滝沢くんとのメールのやり取りがあった。
不思議と詩についての話しはしなかったが、まるで交換日記のようなやり取りが続いていた。
お互いの仕事の愚痴や、彼の友達のこと、私の読んでいる本についてなど、日常のちょっとしたことを日記みたいにメールで送った。
ただ、彼が送信してくるのはいつも深夜2時か3時頃で、文章も前より短めだった。
きっとかなり忙しいのだろう。苦にならなければいいのだけれど。

 そんな、メールばかりのやり取りが続いていたある日、彼からいつものようにメールが届いた。
それは、時間に余裕ができたので会いたいという内容のものだった。
気がつけば最後に会った時からもう3ヶ月が過ぎようとしていた。
‘これが恋人だったら、きっと愛想をつかされているんだろうな・・・。’なんて思ったりして。
彼は前に話した時と同じ様に私の勤務先の側のカフェに行くから電話して欲しいといって、文章の最後に携帯の番号を知らせてきた。

 その翌々日、仕事が終わった私はあのカフェに入り、前に彼が座ったあの席を覗いた。
七時を少し過ぎた頃だった。
まだ外は薄明るく、初夏の夜の風景が会わずにいた時の流れを教えてくれた。
見覚えのある金髪。
やはり滝沢くんは先に来ていた。
黙って前の席に座った私を見て、彼はちょっと驚いていた。
「あれ?電話してくれると思って、待っていたのに。」
「何だかもう居るような気がして、そのまま来ちゃった。」
「なーんだ、作戦失敗だな。」
私から目をそらして彼は呟いた。
「なに?作戦て・・・。なんか面白いこと?」
「俺にとってはね。面白いことっていうか、重要なこと。電話もらえれば、着信で垰野(たおの)さんの番号が分かるでしょ。ほら、俺ってこう見えてもかなりシャイだからさ・・・。」
「そんなの別に普通に聞いてくれれば、すぐに教えたのに。それに携帯から電話するとは限らないでしょ?」
私がそう言うと彼は両手で頭を抑えて、オーバー・リアクション気味におどけてみせた。
そして笑いながら私は手帳に携帯の番号を書くと、頁を破って滝沢くんに渡した。
「今度電話してもいい?」
彼は今度は真面目な顔でそう聞いてきた。
「もちろん!嫌な奴には教えないもの。」
そう答えると、彼はちょっぴり嬉しそうに見えた。
「なんかさあ、ちょっと雰囲気が変わったんじゃない?あれ?眼鏡やめたんだ。でも、それだけじゃないな・・・前より明るいっていうか、そうか、俺に会えて嬉しいんでしょ?」
といってにっこり笑った。
その顔があまりに可愛くって、思わず‘うん。’って言いそうになってその言葉を慌てて呑み込んだ。
「さっきシャイって言っていたのは誰でしたっけ?まあ、冗談はさておいて、私ね、少し変わりたかったんだ。ただそれだけ・・・深い理由はないの。それより、少し痩せたんじゃない?忙しかったんでしょ。」
「うん、初のツアーがあったから。でもね、充実しているから、体はしんどいけれど心は元気なんだよ。」
そういう彼は頼もしく見えた。
「創作活動の方はどうですか?なにか新しいものはできた?」
「全然。今度こそ、垰野さんに評価してもらえるものを作ってやろうと思っているんだけど、なかなかうまくいかない。」
「そう思って、今日はいいもの・・・かどうかはわからないけれど、本を持って来たの。私にはもう必要無いものだからよかったら貰って。多分、気に入ってもらえると思うんだけど。」
そう言って私は彼に持っていた紙袋を渡した。
彼は‘ありがとう’と言ってその袋を受け取ってくれた。

 それから、私たちは2時間近く話し続けた。
毎日のようにメールしていたのに、よくもまあこんなに話すことがあるなと、我ながらあきれた。
でも、本当はそれだけじゃなかった。
彼が、いつ帰るって言いだすかと思うと不安で、思わずおしゃべりになった。
そんな自分が可愛く思えた。
そして、さよならする時間が来た。
彼は車なので送ってくれるといってくれたが、まだ電車のある時間なので一人で帰ると言って別れた。
まだ3回、厳密にいうとちゃんと会って話したのはこれが2回目だったのに、彼の前では素直になれた。
そんな時、時間の流れはとても早く感じる。
今度はいつ会えるのかも分からない。
きっと、これから先、時間はゆっくりと流れて、彼との距離はまた少し遠くなるのかな?
そう思うとちょっぴり切なかった。




 3ヶ月ぶりくらいに垰野さんと会った。
会わない間に彼女には心境の変化があったのか、ちょっぴり違う人みたいだった。
でも、それが本当の彼女だったのかもしれない。
前よりも綺麗になっていて、いい感じだ。

 家に帰って、ベッドの上でくつろぎながら、彼女のくれた紙袋の中の本を取り出してみた。
“ボブ・ディラン全詩集”。
重いなと思ったら、それはハード・ケースの中に入った2冊組みの本だった。
一冊は日本語訳で、もう一冊は英文でしかもディランの実筆のコピーが載っていた。
ディランが描いたイラストも載っていて英語はさっぱり分からないけれど、とても興味を引いた。
そして、もうひとつ俺の興味を最も引いたもの・・・英文の本の裏表紙とカバーの間によく見ると小さな紙が挟まっていた。
その小さく折りたたまれた紙を開くと、こんな文字が目に飛び込んできた。


リリカへ

20回目のバースディ、おめでとう!
ディランとスーズのように
俺たちも
愛し合えたらいいね

2000年2月25日 龍一

俺はちょっと動揺していた。
“龍一”って誰だ?
この文面からするとやっぱり恋人なんだろうけれど、この本を俺にくれたってことは今はもう別れてしまったんだろうか?
でも、たとえ別れてしまったとはいえ、こんな大切なものを人にくれるなんて・・・なんだか彼女が分からなくなりそうだった。
俺はしばらく考えて、その紙切れを再び小さく折りたたむと元の場所にしまった。
とりあえず、今は見なかったことにしよう。
頭の中を必死でリセットすると、日本語訳の頁を開いた。

 “Like a Rolling Storn”、“All I Really Want to Do”・・・。

いくつかの詩は全部は知らないが、どこかできいたことのあるフレーズがあった。
前半をパラパラと拾い読みすると、政治的で攻撃的な詩が多かった。
きっとこんな表現は今時の俺たちの世代にはできない。
というか、必要無いのかもしれない。
もちろん俺も含めてだけれど、いつも自分のことだけで精一杯で、他人や世の中に対してあまり興味が持てないまま大人になってしまった。
仕事だからといってチャリティー活動やら、反テロの歌を歌ったりしているけれど自分はただのマリオネットと同じだ。
ただ踊らされているだけにすぎないんだ。
嫌になってしまった。

“最悪の恐怖は、この世に子供を生むことの恐怖”とディランは言っている。
時代は繰り返す〜世界中のあらゆるところで繰り広げられている醜い争い・・・“必要無い”なんてことは間違いかも知れない。
俺は再び頁をめくり続けた。
信条、肌の色、言語に関わりなく、全ての人々は同じ言葉で笑い、同じ言葉で泣くんだ。
それがひとつの大きな世界になるために、音楽やあらゆる表現が存在するのかもしれない。
“音楽だ、きみ、それが真髄だ”
・・・この言葉が俺の脳裏に強烈に焼きついた。
きっとこれから先もっともっと色々な経験を積んで本当の大人の男になったとき、こんな宗教的なフレーズがはたして俺に書ける日はくるんだろうか?

 激しい眠気に襲われてベッドに横になろうと、床の上に転がしたままのハードケースを拾い上げそのままベッドの上に倒れこんだ。
ポトッと胸の上に何かが落ちた。
どう考えてもケースの中から落ちてきたとしか考えられないが、それは小さな鍵だった。
半分寝ぼけたまま、それをジーンズのポケットにねじ込むと、再び意識が朦朧としてきた。
遠のいていく意識の中で必死に考えていた。
やっぱり、この本は返したほうがいいのかな・・・でも、あの小さな紙切れのことを彼女に聞くなんて出来やしない。
本を返すと言ったらきっと彼女は‘どうして?’って聞いてくるに決まっている。
そして、俺は服を着たまま、その晩は眠ってしまった。
次の日、珍しく早めに目覚めると顔も洗わずパソコンに向かい垰野さんにメールを打った。


つづく
                           

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