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第6章
2004年1月
有羽 作


スタッフ、キャストでの飲み会。
でも…彼…滝沢君がいない。
さりげなくADさんに聞いたら、遅れてくるという。
やだな…胸がドキドキしてる。
あの日、アキラに言われてから、ちょっとおかしい。
いつもの私とは違う私が、時々顔を覗かせる。

一時間ぐらい経ったところで、仕事を終えた滝沢君が店に現れた。
見ていないふりをしていたけれど、内心‘こちらの席に来て…’と思っていた。
気持ちが通じたのか、彼は私のすぐそばの席に座った。
その時、すかさず隣にいたメイクさんが私を冷やかした。
「タッキーが入ってきたら、真珠(まじゅ)ちゃんの顔が変わったんだけれど…ねえ、どういうこと?」
そんなこと言われて、どうしていいか分からなかった。
でも、監督が助けてくれたので、その場は誰も何も言わなかった。
なんか、私って分かり易いなあ…。
当の彼が、その時どんな顔したのかは、確認する余裕など全くなかった。

いつかの夜と同じように滝沢君は私を送ってくれた。
あの時と違うのは、私は彼に密かに片思いしているということ。
でも、それが片思いじゃないってことがすぐに分かった。

あの時と同じように、私達は地面に座って夜空を見上げた。
きっとふたりに、月が不思議な魔法をかけたのかもしれない。
いつか誰かに聞いた、月の言い伝えを彼に話した。

それは…新月か三日月の晩に何かを始めると、その事柄はきっとうまくいく…という言い伝えだった。
その晩は新月から多分、3日目くらいの細い三日月で、それでも暗い夜空を美しく照らしていた。
いきなり抱きしめられてキスをされて、心臓が止まりそうだった。
「三日月の晩に始まった恋なら、きっとうまくいくよ。」
彼はそう言ったが、気が動転している私にはすぐにその言葉の意味が理解できなかった。
でも、しばらくすると彼の言葉の意味がゆっくりと私の中でほどけて行った。
嬉しかった。その時は素直に彼を愛していると思えたのに…。

朝、鳥のさえずりよりも早く目が覚めた。
夕べ、滝沢君を引きとめてしまったことを後悔していた。
彼は何もせずに、ただ一晩中私の肩を抱いていてくれた。
それが…とても辛かった。
きまぐれに、弄ばれるのならばよかった。
なによりも彼の優しさが痛かった。
どうして? そんなに優しいの?
そんなふうにされたら、私は引き返せなくなるのに…。
あなたを求める気持ちをどうやって立ち切ったらいいんだろう?

彼はまだぐっすりと眠っている。
‘私の為に誰かを不幸にしたくない’そう固く決意していたはずだった。
でも、いつもいつも負けてしまう…“淋しさ”という名前の不思議な感情。
淋しさから始まった愛じゃないけれど、それはいつも私の背後に隠れていた。
今なら、まだほんのかすり傷程度で済む。
そう思った私は取りあえず彼を部屋に残して、出て行くことにした。
彼の優しいまなざしの前で、今は嘘を押し通せる自信もなかった。

三日月は恋の成就への道標ではなく、永遠の片恋の象徴。
いつも何かが足りない私のハート…心臓の形だった。





昨日一日中、翼に冷やかされたり、うらやましがられたりしながら、真珠(まじゅ)のことばかり考えていた。
仕事へ出掛ける時間がこんなにも待ち遠しく思ったこともなかった。

今日はロケはなくスタジオでの収録だけだった。
真珠(まじゅ)とは顔を合わせたが、時間もなく鍵も返せないままだ。
彼女は俺とあまり目を合わせようとしなかった。
照れているのか…それとも冷やかされたりしていたので、周りの目を気にしているのだろうか?
彼女に迷惑がかからないように、すれ違った時にさりげなくメモを渡した。
‘舞台稽古が終わったら、携帯に連絡してください’という内容のメモで、俺の携帯の電話番号も書き添えた。

スタジオでの撮影は予定通り終わった。
携帯を見ると30分ほど前に真珠(まじゅ)からのものと思われる着信履歴が残っていて、留守番電話にメッセージが入っていた。
‘お疲れ様です。自宅そばのあの駐車場で待っています。’と彼女の声は告げた。
俺は例の駐車場に急いで車を走らせた。

約束の場所に到着すると、彼女は入り口の金網にもたれて待っていた。
俺の姿に気づくと、真珠(まじゅ)の表情は固く少しこわばっているかのように見えた。
俺は彼女に駈け寄ると、ポケットから鍵を取りだしてそれを彼女に手渡した。
真珠(まじゅ)は表情も変えずに、
「ありがとう。」とひとこと言った。

そして、こんな風に言葉を続けた。
「おとといの夜はありがとう。私、どうしようもなく淋しかったから…。あなたは同情からただ私の側にいてくれただけ。
でも、心配しないで…キスされたからって勘違いした訳でもないし、私のことはもう気にかけてくれなくても大丈夫だから。これからも、共演者としてだけつきあって行きましょう。」
俺は驚いて、愕然とした。
今、俺の目の前に立っているのは、あの三日月の晩に抱きしめた真珠(まじゅ)と同じ人物なのだろうか?
本当に俺をからかっているのかと思った。

「冗談だよね。俺は本気で君のこと…君も同じ気持ちでいてくれていると思っていたのに…本心からそんなこと言っているの?」
俺はきわめて冷静にそう真珠(まじゅ)に問いかけた。

真珠(まじゅ)はこう言った。
「私と滝沢君とは所詮違うのよ。私はあなたに興味があったし、淋しかったからあの晩は一緒にいた。お互い淋しかったから寄り添って、それを愛と錯覚したけれど、愛にはぽっかりと穴が空いているの。
それに、私には誰かを好きになる余裕なんてない。今のチャンスを二度と逃したくないから、恋愛なんて邪魔になるだけなの。」

ふたりの間になんともいえない気まずい空気が流れた。
俺は悲しいのか、怒っているのか…自分の中にある感情すらも分からなくなっていた。
ただ、目の前にいる真珠(まじゅ)は俺が抱きしめたあの夜の彼女とは別人のように思えて、何を言われても、もう何も感じなかった。
俺は真珠(まじゅ)に背をむけると、何も言わず車に乗りこんでその場から立ち去った。

気がつくと自分の部屋のベッドの上だった。
真珠(まじゅ)とのことはなんだったんだろう。
でも、俺は彼女のことをそう簡単には諦めきれなかった。
今の真珠(まじゅ)の心を支配しているもの。それは、“淋しさ”という負の感情だという。
誰の心にも住み付いているだろう、負の感情。
俺はそれがどこからやってくるものなのか知りたい。

たとえ、君が俺を愛していないと言っても…もう俺の気持ちは君以外に、向かう場所はないんだ。





期待しないでほしいの
何も求めないで愛してください

きまぐれに暖をとるように
あたしに触って…

わかったつもりになるより
あたしの自我を否定してください

かわいがってもてあそんで
たのしみとしての愛をください


あの晩、そんな淋しさを埋めるだけの関係を持っていたのなら、きっとすぐに忘れてしまえたのかもしれない…。
自分のやってしまったことに責任をとらなければいけないのならば、もう死んでしまいたいと思った。
滝沢くんの悲しそうな瞳を思いだすと…私の心臓は切ないリズムを刻んだ。







つづく



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