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願い・・・ 第10章
whereabouts
2003年2月
有羽 作


   公演を終えてホテルに戻ってきた私を迎えたのは、愛する秀明とシュウの安らかな寝顔だった。
コートを脱いだままの姿で、神様が私につかわされたふたりの天使の寝顔を見つめていた。
この穏やかで幸せな瞬間をフリーズ・ドライにしてとって置ければいいのに。
でもそれができないからこそ、この瞬間はかけがえもなく大切なものだってことも私は知っている。
彼と生活を重ねていたあの頃は、そんなことにもまったく気づけずにいた。
今だから分かることはほかにもあった。
彼と離れ離れになったのは、神様が与えてくださった試練かもしれない。
この先、どんな悲しい運命が待ち受けようとも、私は素直な気持ちで受け止めようと心に決めた。

 何時間経ったのだろう。気がつくと目の前に秀明の顔があった。
シュウのベッドの脇で眠ってしまった私を隣のベッドに運んでくれたのだ。
彼は帰ると言ったが、その言葉をさえぎるように彼の首にしがみついて引きとめてしまった。
彼を愛していることを素直に告げたかっただけだった。
もう愛されることがなくても・・・。
でも、彼は私をあの頃のようにやさしく抱きしめてくれた。
拒まれても仕方ないことを彼にしてきたのに、そんな私を愛していると言ってくれた。
胸が張り裂けそうな思いが私の全身を貫いていた。
6年間止まっていた私と秀明の時計の針は再び動き始めた。

 秀明はあの時、彼の前からいなくなった本当の理由が知りたいと言った。
そして、シュウが自分の子供ではないかと言った。
「あなたと同じ目をしたシュウが側にいたから私は頑張れたの。シュウはあなたの血を分けた子供だから。私があなたを愛してきた証だから。」
「でもなんであの時、俺に話してくれなかったの?俺はそんなに頼りない男なのかな?」
秀明は悲しそうな目でわたしを見た。
「本当のことを知ったら、あなたは私とおなかの中にいたシュウを守るために自分を犠牲にしてしまう。私はそんなあなたを見たくなかった。いつもあなたには輝いていて欲しいから。それにイギリスに行ってバレリーナになる夢も捨て切れなかった。あなたから自立したいと言ったのも嘘ではなかったの。」
「俺はゆうきの盾になりたかった。でもそれは、男の勝手なヒロイズムに過ぎなかったのかもしれない。」
「そんなことはないわ。あなたに愛されている実感で私はとても幸せだった。でもね、最近やっと分かったの。これは神様がふたりの愛を試すために私たちに下した試練だったんだって。あのままあなたのそばにいても、私はきっと自分を見失っていた。逃げるようにしてあの場所にいても、そこが本来の自分の居場所ではないってことも薄々気づいていた。でも苦しいほどあなたのこと愛してしまったから、気が狂いそうなくらい辛かった。プリンシパルの座を手に入れるためにひたすら努力することと、シュウの笑顔が私の救いだった。」
そう言ったとたんにまた涙が溢れてきた。
そんな私を秀明は黙って抱きしめた。
そして、‘分かったから、もう何も言わないで・・・。’そう優しく言ってくれた。
私達の話し声にシュウは目覚めたようだった。
もう薄っすらと夜が明けていた。
窓の外は白くぼんやりとした夜明けの色に変り始めていた。
秀明は結婚しようと言ってくれた。
シュウのためにも正式な家族になろうと言った。
私が幼くして失ってしまったもの‘家族’・・・その言葉にどんなに憧れていたか。
それなのにわたしはシュウにどんなに懺悔しても許されないことをしてしまった。
彼の愛らしい口から‘パパ’という言葉を聞くたびに胸が咎めた。
そしてわたしたちはその日のうちに秀明の両親に会いに行き、婚姻届を提出した。




 シュウは俺と血の繋がった子供だった。
ゆうきが6年ものあいだ、俺のことだけを愛していてくれたことがとてつもなく嬉しかった。
俺の気持ちは彼女を忘れられない苦しさから逃れるために別のところに行こうとしてジタバタしていたのに、男っていうのはやっぱり身勝手な生き物なのかな。
でも彼女への想いを消し去ることはできなかった。
俺はゆうきに結婚しようと告げた。
彼女は目にいっぱい涙をためて頷くだけだった。
その日はちょうどクリスマスだった。
そうあの日、ゆうきに告白してふたり付き合い始めたのと偶然にも同じ日だったんだ。
その日は一日中、目の回る忙しさだった。
それからすぐにシュウを連れて俺たちは俺の両親に会いに行った。
父は面食らっているようだったが、母は凄く喜んでくれた。
シュウが小さな頃の俺にそっくりだと言って笑った。
それから、眠そうなシュウを母に預けて、俺とゆうきはゆうきの両親の墓にお参りに行った。
驚いたことにゆうきは俺と暮らし始める前に一度行ったきりで、ここに来たのは7年ぶりだったらしい。
‘親不孝のバチが当たった。’と言った。
墓参りを終えた俺たちはそれぞれの戸籍謄本を取って婚姻届の用紙をもらうとその足で社長に会いに行った。
社長は俺の強引さに半ば呆れたようだったが、ゆうきの顔を見たとたん上機嫌になった。
今度はシュウに合わせて欲しいと笑い、婚姻届の証人の欄にこころよくサインしてくれた。

 事務所をあとにした俺たちは翼に電話をした。
翼は次の仕事場へ移動中だったが少しなら時間があると言ったので渋谷のカフェで待ち合わせをした。
俺たちが結婚するから証人になって欲しいと目の前に婚姻届を出すと、翼は飛び上がりそうなくらいに驚いていた。
「ちょっと、展開が早すぎない?あんなに人に心配させておいて・・・まったくどうなっているんだよ!」
と言ってすねた。
「まったく、ゆうきが帰国したときにすぐに滝沢が素直になっていれば、俺も色々苦労しなくてもすんだのにさ!」
と怒り口調で俺を睨んだ。
「秀明が悪いわけじゃないから、私も素直になれなかったんだし彼ばかり責めないであげて・・・。」
とゆうきが口を挟んだ。
「やれやれ、あてられそうだな。」
そう言って翼はため息をついた。
そしてサインしてくれた。
「シュウくんはどうしているの?」
「シュウは今、俺の実家で待っている。俺の子どもの頃にそっくりだって言われたよ。」
「ってことは、やっぱり滝沢の血を分けた子供なんでしょ。まあ、俺は最初にあの子を見たときから、絶対、この子は滝沢の子だって気づいていたけれどね。ほんと、初めて会った頃のお前にそっくりだもの。」
翼がそういうと、ゆうきはクスッと笑った。

 まあ、そんなこんなで俺たちは無事届けを提出して、晴れて家族になった。
その日もゆうきの公演はあった。
仕事がなかった俺は彼女のステージが跳ねるのを待ってシュウをふたりで迎えに行った。
帰りの車の中でシュウは泥のように眠ってしまった。
実家には犬が二匹いて、それがシュウにはちょうどよい遊び相手になっていたらしい。
母が言うには、一日中、近所の公園で走り回っていたらしい。
「明日にでも結婚指輪を買いに行かなければね。」
運転しながら、俺は助手席の彼女にそう言った。
ゆうきはしきりに、いつもしていたらしいネックレスを首からはずそうとしていた。
そして、それを外すと運転している俺の目線に差し出した。
「指輪は買う必要ないと思う。17歳の誕生日にあなたがくれたこのリングで充分だもの。それとも、秀明は失くしちゃった?」
あの日、俺がゆうきに送ったリングを彼女はこの6年間ずうっと、首から提げていたのだと言った。
「だって・・・あなたの気持ちだと思ったら、捨てられなかった。あなたにとって、もう私が過去の存在になっていたとしても、それでもあの時の気持ちに嘘はないから。人の気持ちは変化するって、永遠の愛なんてないって思っていたけれど・・・それでも私はずうっと片思いしていてもいいやって思っていたから。‘My Eternal Heart’は私の気持ちでもあるの。」
そんなふうに言うゆうきを、運転する手を止めて何度抱きしめそうになったかわからない。

 俺は彼女に二度、恋をしたみたいだ。
最初の恋心はゆうきが出て行った日に死んでしまった。
それでもその憐れな残骸を6年もの間ずうっと抱きしめていた。
粉々になったことに気づいていたのに・・・。
そして、俺たちは再会した。
まるで、この世に生を受ける前から決まっている相手のように、俺はゆうきに再び恋せずにはいられなかった。
このまま離れたらもう、お互いに生きてはいけないことにも気づいていた。
ゆうきは永遠の片思いだと言ったけれど・・・永遠に続く恋なんてそんなものありはしない。
だから俺はゆうきとの恋を愛に変えるため、結婚したんだ。
シュウのためだけなんかじゃない。
俺たちは恋人で、夫婦で、家族で、そして時には兄弟・姉妹のように、友達のようになるのかもしれない。
「あのリング、俺は失くしていないよ。ゆうき、俺はねえ・・・。」
そう言いかけたところで、隣の席を見た。
ゆうきは疲れてしまったらしく、チェーンのついたリングを握り締めたまま目を閉じ、深い眠りに落ちてしまっていた。
‘ほんとにいつも君は俺の話を最後まで聞かないんだよね。’ゆうきの寝顔を見ながら俺は心の中でそうつぶやいた。
静まり返った車内の中、ラジオのスイッチを入れた。
聞き覚えのあるメロディーだった。

 
  願いが叶うなら 記憶の中に
変らない二人が居続けるように
当たり前の今日が答えになると信じてる
そんな夢だけを見ていた

さよなら愛しい人
優しい嘘なら今はいらないから
 
偶然にも俺の曲が流れていた。
俺は人通りのない道路の脇に車を止めた。
「優しい嘘はもうつかなくていいんだよ。」
俺は眠っているゆうきに向かってそう呟くと、彼女の微笑んでいるようなその寝顔にそっとくちづけた。




THE END


                             

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