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第14章
2004年1月
有羽 作


真珠(まじゅ)が死んだ。
その事実を実感として受け入れることができなかった。
だから…悲しくもないし、涙もでなかった。
今でもまだ会えないだけで、時間や空間を飛び越えたところでお互いの気持ちは通じ合っている気がしてならなかった。

その事実を聞いてからも、俺は真珠(まじゅ)の実家へ連絡することをためらった。
真珠(まじゅ)のお母さんからもなんの知らせもなかった。
やっぱり何かの間違いか、井上君の悪い冗談かもしれない。
俺は1ヶ月間の舞台公演を無我夢中で駈け抜けた。
時々、客席や舞台そでに彼女の幻影は現れて、俺を見守るようなまなざしで見ていた。
そして今日、無事に楽日の歓声の中に立っていた。

俺の中にあるのはやり遂げた充実感と、緊張が解けた後の疲労と、ほんの少しの淋しさだった。
それは、泣きたくなるような、切なくて幸せな気持ちだ。
真珠(まじゅ)、君になら分かってもらえるだろ?
この切ないけれど、暖かくて幸せな気分が…。

俺は驚くスタッフや仲間たちを置き去りにしたまま、楽日の楽屋をとび出すと、車に乗り真珠(まじゅ)の実家へ連絡をした。
真珠(まじゅ)のお母さんは知らせなかったことを何度も謝罪した。
そして、俺が来るまで起きて待っていてくれると言った。

俺は再び真珠(まじゅ)の実家を訪れた。
お母さんが暖かく迎えてくれ、俺は家の奥にある和室に通された。
そこにはりっぱな仏壇があり、真珠(まじゅ)の父親らしき位牌と、その横に真珠(まじゅ)の位牌と遺影が置かれていた。

「今まで黙っていたこと…許してください。何度もあなたに連絡しようかと悩みました。でも、これはあのこの…真珠(まじゅ)の望みだったんです。あのこはあなたが自分の死を知って、動揺するんじゃないかととても心配していたんです。だから、あなたの舞台が終わるまでは、決して自分の死を告げないでくれと私に懇願して亡くなったんです。あのこはとても強い子でした。親よりも先立つ不幸を私にわびながら…でも自分は幸せだったと最後には笑顔でなくなりました。」
お母さんはそう言うと、少し涙ぐんだみたいだった。

俺は線香をあげると、位牌に向かって手を合わせた。
真珠(まじゅ)が息を引取ったのは、舞台初日の晩だったらしい。
やはりあの日、彼女は俺に別れを告げるためにあの場所にいたんだ。
俺だけにわかるように、彼女の魂は俺に会いに来ていたんだ。
そう思ったら胸の中に熱いものが渦を巻いているみたいだった。

俺はお母さんにお礼を言うと、彼女の実家をあとにした。

ネオンの見えない暗い夜道を車は走った。
気がつくといつもの習慣で真珠(まじゅ)が入院していたあの病院に向かっていた。
もうあの中には彼女の姿はないのに…どうしてだろう。
引き寄せられるように気がついたら、この場所に来ていた。

真珠(まじゅ)のいた病室のほうをなにげなく見た時、あのポプラの木が視界に入った。
俺は車を降りると、ポプラの木に近づいて行った。
信じられないことだが、枝には紙切れがくくりつけてあった。
それは何日も風雨にさらされていたらしく薄汚れていて、結び目が今にも解けて風に飛ばされてしまいそうだった。
俺はそれを枝からもぎ取るようにして手にすると、震える手でその手紙らしきものをひろげた。

それは紛れも無く、何度も見慣れた真珠(まじゅ)の字だった。



秀明へ

これをあなたが目にするとき、
多分私の姿はこの世にはないでしょう。
だから、これは私があなたに送る
最後のラブ・レターになるかもしれません。

私は今、孤独ではありません。
心の中には不安も、恐怖もありません。
私には分かるの。
多分死ぬときは発作が起きて苦しむだろうけれど、
きっとそのあとに訪れる自由を思うと何も不安はないから。

以前読んだ本の中にこんな一節があったの。
“神さまは、クズをおつくりにはなりませんでした。”
どんな人間も生まれた時は完璧で
肉体的に完璧でないときには
霊的な部分がそのぶん余計に開かれている
…という意味合いらしいのだけれど、
私には納得がいかなかった。
じゃあこの私はなんなのだろう?って思った。

生れつき心臓が悪いけれど
だからって心や精神が人よりも勝っているなんて
一度も思ったことはなかった。
むしろ…役者になりたかったけれど、その事だって
“自己顕示欲が強くて嫌な人間なのかもしれない”って
自分が嫌いで悩んでいた時期もあった。

私は全然完璧な人間ではなかった。
そう、私の心にはいつも欠けている部分があって、
いつかあなたにも言ったかもしれないけれど
“夜空にぽつんと浮かんでいる三日月”みたいだと思った。

だから、秀明に出逢えたことをとても感謝しているの。
短いあいだだったけれど、あなたと出逢えて私は
充分な愛と理解を経験することができた。
私に欠けていたものをあなたは与えてくれた。

あなたとなかなか向きあえずにいたのも、
私が失うことを恐れていたからなの。
でもね、なくしてしまうことは悲しいことではないの。
一番怖い事は、愛が無に帰してしまうことなの。
だから見えないものを信じて…
あなたの心の奥底にあるものを信じて。

私の魂はいつもあなたの側にある。
だから、お願い
いつかきっと、私を見つけてね。
今度はもっと完全な身体を手にいれて
生まれてきたいな。
秀明ともっとずっと一緒にいられるように。

あなたは私を束縛せずに愛してくれた。
責めることなく評価してくれた。
見下すことなく救ってくれた。
私もあなたを同じように無条件に愛しています。

いつでも
どこにいても
私はあなたを永遠に愛しています。
だから何も悲しまないでね。

風が光りにかわるように
無垢な恋は
いつかゆるぎない愛に変わるのなら
ふたりはまたきっと
どこかで出逢えるはずだから…

                         真珠(まじゅ)


その手紙を読みながら、俺は涙が溢れてくるのを拭えずにいた。
真珠(まじゅ)の俺にたいする大きな愛情が洪水みたいに胸の中に押し寄せて来て、その洪水の中でずうっと溺れていたい気分だった。
頭上には灯りひとつない真っ暗な空に、くっきりと三日月が浮かんでいた。
君はまるであの月の精霊みたいだね。
いつだって、君の脆さと背中あわせの強さに俺は惹かれていたんだ。

ねえ、真珠(まじゅ)…
俺達の魂はいつか時代を超えてどこかで出逢えると信じている。
だって君はずうっと、俺の中で生き続けるはずだから。
俺は何処にいたって、君を見つけ出すよ…

涙で月が滲んで見えた。
月は滲んで…
こぼれた月のひとしずくが、淡い光りをはらんだ一粒の真珠となり、俺の頬をすべり落ちた。






THE END



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