第4章 |
2004年1月 有羽 作 |
あの日の飲み会以来、更に撮影のスケジュールはハードになって行った。 雨が多いせいか、天気の良い日に一気に撮ってしまわなければ追いつかないみたいだ。 だから、朝から雨が降っていたりするとなんだか複雑な気持ちだった。 ゆっくり眠れるという思いと、この後の修羅場を思うと憂鬱になる気持ちの両方が複雑に絡み合っていた。 ハードなスケジュールの中で唯一のやすらぎが、真珠(まじゅ)と顔を合わせる時間だった。 彼女の勝ち気さの下から時折覗く、ひたむきさや純粋さが俺は好きなのかもしれない。 真珠(まじゅ)は心底、芝居が好きなんだろう。 そう思える瞬間が時々あって、それは俺のまわりの人間達とは違った新鮮な輝きを放っていた。 今日も朝から都内でロケだったが、昼過ぎから雨が降りだした。 数時間待った挙句に撮影は中止になってしまった。 少しだけスタジオでの撮影をして、その日は早めに終了となった。 電話で友人に連絡して食事にいくことにした。 スタジオの駐車場に止めておいた自分の車で、待ち合わせ場所に向かおうとしたところで、真珠(まじゅ)に会った。 どうやらこれから舞台稽古に行くらしい。 待ち合わせ場所と稽古場が近かったので、‘悪いから…。’と断る真珠(まじゅ)を説得して彼女を送って行くことにした。 「この前、楽屋の鏡前に週刊誌が置いてあったでしょう。あれ、私読んだんだ。視聴率のこと…やっぱり、気になるよね?」 彼女はそう言ったあとで、 「ごめん、変なこと聞いて…。なにか違う話しをしよう。」そう言って俺から少し目をそらした。 「いいよ、数字は本当のことだもの。」そう俺は答えた。 そして、暫く考えてこう言った。 「数字はやっぱり凄く気になるよ。視聴者一人一人に感想を聞けるはずもないし、そう思うと、どれだけの人が感心を持って見てくれているかはやっぱり数字に現れると思う。でもね、たとえ数字が良かったとしても、自分が納得した仕事ができたとは言えないんだよ。そして、大抵の場合はその逆のパターンが多いんだ。だから俺はひたすら、自分を信じて努力し続けて行くしかない。その積み重ねがいつか見ている人達に伝わるといいんだけど…。それに、まだ俺に出来ることはそれぐらいしかないんだ。」 なんだか力説しちゃったみたいで、照れくさかった。 でも、真珠(まじゅ)はそんな俺の言葉を冷やかす訳でもなく、おおまじめに聞いてくれた。 仕事の話しで男友達を相手に熱く語ったことはある。 でも、女の子相手に面と向かってこんな事を話したのは、きっとこれが初めてだろう。 それがたとえ恋人だったとしても…。 「滝沢君の言いたいことは凄く良くわかる。世間の評価ばかり気にしていたら、自分自身を見失うもの。それに役者の仕事って、とても複雑で深いものだと思う。私なんて、演出家に何年も前に言われたことが、やっと今日理解できたなんてことがざらだもの。」 真珠(まじゅ)はそう言うと、話題を変えようと若いスタッフの失敗の話しを始めた。 俺達はおかしな話しに夢中になって笑い転げ、危うくハンドルをきり損ねるところだった。 30分くらい走った所で、次の信号を左折したところで降ろして欲しいと真珠(まじゅ)は言った。 そこには小さなスタジオがあって、窓ごしに若いタレントたちが数人何やらレッスンしている姿が見えた。 「なんか、早く着きすぎちゃたかな? まあ、いいや。どうも、ありがとう。それじゃ、またね…。」 そう言って彼女は微笑むと、スタジオの扉の向こうに消えて行った。 俺は再び車に乗りこむと、友人の待つ店まで走った。 約束時間を10分ほど遅れて店に入っていくと、もう奴は席に座って待っていた。 待ち合わせの相手は、俺の仕事の相棒で親友の“今井 翼”だ。 翼は久しぶりに会った俺の顔を見て、何だか少し照れたような顔をした。 「遅い、10分遅刻だな。仕方ない今日は滝沢のおごりってことで、許してやるよ。」そう言った。 「なんだよ、いきなり! それにお前、なんかちょっと照れていない?」 「馬鹿。なんで俺が男と会って照れなきゃいけないんだよ。また、おかしな噂になるからやめてよ!」 そう、翼が言うように俺達があまり仲がいいんで、世間では“ふたりはできてる”とか変な噂が流れているらしい。 「あー、でも情けないな…、何が悲しくて貴重なプライベートにお前なんかと飯食わなきゃいけないんだよ。」 そう言うと翼も負けていなかった。 「はあ? お互い様です! ふん、翼君に会えて嬉しいくせに相変わらず素直じゃないな。もっと素直になんなきゃ、女の子に嫌われるぞ。」 「へへ…ご心配なく。さっきまで真珠(まじゅ)と一緒だったんだ。」 「マジュちゃんって、最近お前の話しによく出てくるあのこだろ?」 「うん。“真珠(しんじゅ)”って書いて“マジュ”って言うの。本名だって、珍しいだろ。」 「で?’好きだ’って言ったのかよ?」翼は身を乗りだすといきなりそんなことを言った。 「まだ、好きかどうか分かんないよ。俺はそんなに安くない。」 「あー、又始まった。じれったいなあ。あれだけしょっちゅう電話で彼女のことばかり話しておいて、好きかどうか分かんないときたもんだ。向こうだって、滝沢が告ってくれるのを待っているかも知れないんだぞ。」 「俺はいつも自分の気持ちに正直だよ。そりゃあ、真珠(まじゅ)のことは好きだよ。でも、それが男と女の話しになると又違ってくる。無責任に自分の気持ちを伝えてもいいのかなあ…。なんせ俺には、拘束されることが多すぎるからね。」 「出たよ。優等生だからなあ…お前は。そんなんじゃ、泣いてる女の子がたくさんいるぞ!」 翼は大袈裟にがっくり肩を落として見せた。 それから俺達ふたりは、よくしゃべり、よく飲み、呆れるほどよく食べた。 翼は俺と違って、子供みたいに無邪気でピュアな奴だ。 でも、俺と驚くくらいに良く似たところもあった。 俺達はあわせ鏡みたいなものだ。 翼と話しながら俺は自分の気持ちに気づくことがよくあった。 そして、今夜もそうだった。 恋はゆっくりと、でも確実に俺の心を支配し始めていた。 “真珠(まじゅ)”…その言葉の響きが、俺の胸をどうしょうもなく切なく締め付けた。 スタジオに入っていくと、まだレッスンが続いていた。 「よう! 真珠(まじゅ)、そこに座って待っていてくれよ。」 声の主は、“井上 アキラ”…私達の劇団の仲間で、彼は役者の他に演出、脚本も手がけていた。 そして時間があると、こうして所属事務所がスカウトしてきたタレントの卵のアクティング・レッスンを任されていた。 でも、どうやらあまり乗り気ではないらしい。早く辞めたいとよく仲間にこぼしていた。 それから20分ほどでレッスンは終了した。 稽古場の中にアキラと私だけになると、彼は見計らったように口を開いた。 「どう? 見ていただろう? あいつらとやって行くのはもうヘトヘトだよ。」 「でもアキラはよくやっているよ。私だったら、とっくに稽古場から出ていってるかもしれないもの。」 「あいつらは揃いも揃って、“自分には何かがある”そう思っていやがる。ここでちょこっとお茶を濁して、少しでも上手い話しがあれば飛びついて、うまくやれればいいな…ぐらいにしか思っちゃいない。俺らの中では信じられないけれど、‘そんなことできない’なんて言葉を簡単に口にしやがる。」 アキラはそう吐き捨てるように呟いた。 「でも、仕方ないんじゃないの。“自分には何かがある”って、私だって最初はそう思っていた。でも、そんなことはただの思い上がりだって嫌って言うほど思い知らされたけれどね。あとはそれを思い知った後にそれでも続けていくのか、あきらめてしまうかの違いだけだよ。」 彼は私の言葉にうなずいたけれど、大きな溜息をついて持っていたタオルで顔をぬぐった。 「ねえ、真珠(まじゅ)。さっきお前を送ってきた奴って、ひょっとして“滝沢 秀明”じゃあないの?」 「見てたんだ。そうだよ、通り道だからって送ってくれたの。」 「そうか…、言ってくれれば挨拶したのに…。ちぇっ、サインしてもらえば良かったなあ。若いくせに、外車なんか乗りまわしちゃって生意気な奴だ。きっと派手に遊んでるんだろうなあ。」 「そんな風に言わないでよ。彼はああ見えても凄くまじめだし、考え方もとてもまともだよ。全然アキラが思っているような人じゃない。」 思わずむきになって、そうアキラに言い返していた。 「お前…あいつのことが好きなのか? ひょっとしてもう付き合ってる? あいつはお前の体の事、知っているのかよ…。」 アキラは私のほうに向き直すと、矢継早にそう聞いてきた。 「なに言ってんのよ。私が言いたいのは滝沢君はアキラが思っているような人間じゃないってこと。だから悪く言わないで。」 「おまえさあ、全然俺の質問の答えになってないでしょ。まあ、いいや。なあ、この際だから言わせてくれよ。俺ならお前のこと良く分かっているつもりだし、お前の心臓のことも知っている。それに…俺は黙っていたけれど、ずうっと…」 アキラがそこまで言いかけた時、ドアが開いて仲間が数人稽古場へ入ってきた。 「おはよう!真珠(まじゅ)、今日は早いんだね。」仲間の一人が声をかけてきた。 アキラは言いかけた言葉を飲みこんだ。 そして、何事もなかったような顔をして、稽古場から出ていってしまった。 私はちょっとほっとした。 彼が何を言いかけたのかは、なんとなく伝わってきた。 でも、私にとっては兄貴みたいな存在だから、その関係は壊したくなかった。 それに…私の心が求めているのは滝沢君だった。 どうせ片思い。でも、今の私にはそれが一番お似合いかもしれない。 だって、あと何回舞台に立っていられるのかすら分からない。 私のせいで誰かが不幸になったり、悲しんだりするのだけは御免だった。 |
つづく
|