[back]

卒業  〜さよならは明日のために〜
2004年3月29日
有羽作


ぺこさんをはじめとする
タッキーを愛して止まない全ての方々へ捧ぐ


滝沢秀明氏の22回目のBirthdayによせて…

拙い文章ですが、タッキーの22歳の誕生日記念にとこんなお話しを書いてみました。
“卒業”の歌詞のイメージで・・と思ったのですが、ちょっと違うかな?
あなたの中にいる22歳のタッキーと、ほんの少しの時間ですが
恋愛している気分になって頂けたら、嬉しいです!


2004年3月某日 ヒデクラ限定・エセ小説家〜有羽φ(..;)


今日は久々の休日だ。
溜まった洗濯物と、この部屋中に舞っている埃をどうにかしなきゃいけない。
‘もうすっかり春だっていうのに・・色気もなにもないなぁ。’
まあ現実なんてこんなもんだ。
皆に夢を与えるのが生業の俺だけれど、ここ数年、恋らしい恋はしていなかった。

上半身は裸。
掃いていたジャージも膝までまくり上げた。
頭にタオルを巻き、腰にはヨレヨレのハタキを差し、片手にはコロコロ。
“コロコロ”というのはロール状の粘着テープのことで、最近の俺のお気に入りアイテム。
これで戦闘体勢は完了だ。

まずは寝室。
その辺りに無造作に置いてある衣類を片付ける。
ざっと3日分てところかな・・・。
まぁ、俺の場合は何日も同じ服来ていても全然きにならないし、本当は5日分かもしれない。
床やベッドの上が片付いたところで、おもむろに腰に差してあったハタキを取り出した。
親のカタキよろしく、それで窓枠や壁のにっくき埃を叩き落とす。

おもわずベッドサイドに張ってあった写真も力一杯に叩いてしまい、 案の定ベッドの上にバラバラとまき散らしてしまった。
‘はぁー、やっちまった!’
そんな風に独り言をいいながら、埃との格闘を中断し 俺はベッドに散らばった写真を元に戻す事にした。

変な顔した翼や仁のスナップを見て吹きだしそうになった。
しばらくの間、思わず見入ってしまった。
‘だめだなぁ…この調子だとあっという間にお昼だ。’
俺は気を取り直し、ばらまかれた数枚の写真を拾い始めた。

見慣れた写真を拾っていると、数枚の写真の下から出てきたのは・・
忘れ様としても忘れられない、あの日封印したはずの切ない記憶の断片だった。

俺はそれを手に取ると、その記憶の断片に引きづり込まれるように見入っていた。
それはまぶしい光りの中で舞っている、おびただしい桜のはなびらの数々…
そして、その中にたたずんでいるのは俺自身の姿だった。
裏には“2000年4月3日、有森 美羽”(ありもり みう)とサインがしてあった。
美羽・・君への思いと決別してから二度目の春が来た。
“卒業”したはずの君への思い。
でもそれは今も色あせることなく、俺の胸でくすぶり続けている。

俺は窓を少しだけ開けてみた。
そこからは冷たいけれど、どことなく柔らかな春の香りのする風が入り込んで来た。
それはかすかに甘く、胸の奥の記憶を切なくかき乱すような香りだ。
そう、忘れようとしても忘れることのできない、君の香りだった。





まぶしい春の午後、俺は友達との待ち合わせ場所に向かって車を走らせていた。
自宅から5分位走ったところに大きな公園があった。
いつもなら気にも留めずに通り過ぎるところなのだが、その日はなぜかそこで車を止めた。
待ち合わせまで時間もかなりあったし、なによりも浦らかな春の日差しと満開の桜に心惹かれた。

車を駐車スペースに止めると、桜が満開に咲き誇る公園の中をあてもなくひとりぶらぶらと歩くことにした。
俺の生まれた場所は東京の郊外でまだまだ緑も多く、満開に咲く桜の木々もさほど珍しくはなかった。
でも、どうしてだろう?
子供の頃は桜の花なんて見向きもしなかった。
この時期、大人達が“お花見”と称して浮かれているのを見るたびに、不思議な気分だった。

咲き誇る桜の花を無心で眺めていたが、カメラのシャッター音にふと我に帰った。
振り向くと若い女性がこちらに向けてファインダーを覗いていた。
「ねえ、こっちにレンズ向けるのやめてくれないかなぁ・・」
俺は彼女に近づきながら、無表情にそう言った。

「失礼な人ねぇ。あなたの方が私の視界からどいてくれないんじゃない。」
そう言って彼女は顔の前にあったカメラを胸元まで降ろした。
その時に初めて彼女と視線があった。
ちょっと怒っているような大きな瞳、少しだけ上気しているのか頬が薔薇色に見える。
「あぁ、勘違いだったらごめん。でも言ってくれれば退くよ。」
「何回も声をかけました。でも全然きづいてくれないから…」
彼女はそう言って、ふいにきびすを返すとそのまま歩いて行ってしまった。

それだけのことだった。
ただそれだけのことなのに・・なぜだかその時の彼女の瞳が、俺の心から離れなかった。
澄んだ春の光りを映しているような、少し淡いグレーがかっているような瞳の色だった。
どこの誰だかも、なぜあの場所にいたのかも、なにも知らない。
再び出逢うことなんて皆無に等しいのに、彼女の瞳と声が心に消せないシミを残した。

あれから俺は毎日のようにあの公園を歩いた。
時間がまちまちなせいもあるかもしれない。
彼女には逢う事はなかった。

桜の季節も、“ソメイヨシノ”から濃い桃色の“八重桜”に変わっていた。
相変わらず俺は日課のように公園の中を俳諧していた。

公園には一本だけ変わった枝垂れ桜の木があった。
一本の木なのに、白、薄桃色、桃色の三色の花が咲いている。
接木でそうなっていると管理人のような人が女性に説明していた。
彼女はその花を熱心に写真に撮っていた。

その女性は俺が探し続けていたあの彼女だった。
俺が腕組みしてその木を眺めていると、写真を撮り終わった彼女は俺に気付き声をかけてきた。

「あのう、いつだか私の写真の構図に入ってしまった方ですよね。あの時は失礼な言い方をしてしまって ごめんなさい。今度もし逢えたら謝ろうって、私ずうっと思っていて・・。」
彼女は遠慮がちにそう言うと、ぺこりと俺に向かって頭を下げた。

「いや、もういいんですよ。ぼうっとしていた俺も悪いんだし。おたがいさまでしょ。」
そう言って俺は彼女を見て微笑んだ。

それから俺と彼女はなんとなく言葉を交わしながら、公園の中をぐるぐると歩いていた。
さすがに‘君の事をずうっと探してここに毎日のように来ていたんだよ。’とは言えなかった。
でもこういう場合、どうやって次のきっかけをつくったらいいんだろう?
なんだかまるで中学生位の、なんにも知らない少年みたいにドキドキして、俺は困り果てた。

これは後で知った事だが、彼女のほうも俺と別れ難くてなにかきっかけを探していたらしい。
俺達は初めて視線があったときから、お互いに惹かれあっていた。
翌日から俺に逢うために、同じ時間に彼女も毎日のように公園に来たらしい。

そして、その同じ週の日曜日、俺達は再び公園で出逢った。
俺は思いきって彼女と逢う約束を取りつけ、翌週の土曜日の夜、二人で食事に行く約束をした。




彼女の名前は‘有森 美羽’(ありもり みう)俺よりひとつ年上の専門学校に通う学生だった。
「写真の学校?」って聞いたら、
おもむろに大きなバックの中からデザイン画を取りだして、見せてくれた。
なんでも宝飾デザイナーになるために勉強しているらしい。
写真はそのデザインを考えるために撮り続けていると言った。

「そうだ。初めて逢った時の桜の写真があるの。これ、滝沢くんにあげるわ。」
彼女はバックの中のファイルから写真を一枚取り出すと、 裏に書かれてあった日付の横に自分の名前を書いて俺に差しだした。
俺はそれを見てちょっと驚いた。
仕事柄、今まで膨大な枚数の自分の写真を見てきたが、 それは今までに見た事も無いような新鮮なイメージだった。

春の柔らかな光りとおびただしい桜のはなびらが舞い散る中、 空を仰ぐような格好で俺がたたずんでいた。
確かにあの公園で撮影したものなのに、そこだけが別の空間のような 不思議なひかりの世界が存在していた。
「なんだか凄いね。偶然撮れたみたいには思えないな。」
そう言うと美羽は、
「私には分かるわ。でもどうしてなのかは、今はまだ私だけの秘密。
いつかねえ・・教えてあげる。」
ちょっとはにかんだような笑顔でそう答えた。

俺達はそれから俺の時間が許す限り、何度となく逢った。
ひとつ年上の彼女は、無邪気で可愛いらしい面とその反面、 頑として譲らないかたくなな部分を持っていた。
俺が芸能人だということも、いつも人目を気にしなければいけない立場も、 美羽は気にならないと言ってくれた。
逢うたびに彼女の魅力にどんどん引き込まれていった。
出逢ってから急速に俺と美羽の距離は縮まっていった。

優しい春が過ぎ、セロファンの日差しの夏がやってくる頃
俺は君に夢中だった。
水玉模様の夏はきらきら揺れて・・ふたりは恋に夢中だった。

眠れない夏が過ぎて、物憂い秋の風が吹いても
ずうっと一緒に居られるって、なにも疑いもせずに君を見つめていたんだ。
君だってまさかこの先、ふたりの道が別れているなんてきっと思いもしなかっただろう。
だって美羽…君の笑顔は、
まるであのミューズの月の柔らかな光りのように、いつも俺を照らしていたのだから。

俺達はずうっと一緒に歩いていけるって、信じていた。
でもそれは思い違いだったんだね。
たぶん、君の未来には俺は存在しないだろう。
あの春の日、桜吹雪の中で
君に声なんて掛けなければよかったんだ。

あんなにもお互いに愛し合っていたのに、
どうして俺たちは別れてしまったんだろう・・。





日本に戻ってきてから、はじめての春が訪れようとしていた。
思い出にはまだ出来ないような、苦い思いが私を時々苦しめる。

私はあの頃のように、カメラを取りだすと外出しようとクローゼットを開けた。
ちょっと考えてから、最近ずうっと着ていなかった綿サテンの赤いジャケットを取りだした。
まだ数回しか着ていないので、クリーニングにも出してはいなかったけれど大丈夫みたいだ。

開け放した窓の側で、ジャケットを着ようと両手で掴んで翻したとたん、 袖の織り返した所からなにやら紙片のようなものがヒラヒラと舞い落ちた。
足元に落ちたそれを私は片手で拾った。
よーく顔を近づけてみると、それは変色して褐色がかっていたが、 小さな桜のはなびらみたいだった。

私は数年前、彼と最後に会ったあの場所へと思いを巡らせた。
きっとあの時、桜吹雪の中で舞っていたひとひらのはなびらが、 偶然袖の織り返しに挟まってしまったんだろう。

でも数年を経てみると、それはまるで・・
私と彼の苦い記憶の断片のように思えた。
カサカサに乾いたはなびらに触れてみた。
今となってはもう、あの頃のみずみずしさは跡形もない。

私が彼に背を向けたのは、過ちだったと今になって気付いていた。
‘ごめんなさい…’ あの頃の私は、自分の心の弱さに勝てなかった。
その結果、彼を傷つけて、一番大切なものを失ってしまった。

私は気を取りなおしてジャケットを着こむと、彼…秀明との思い出の場所へ行ってみたくなった。
あの頃のように、カメラとデザイン画のファイルを持って電車に乗った。
車窓から差し込む浦らかな春の日が、胸の中でうずいているほろ苦い記憶の断片を 徐々に繋ぎ合わせていくようだった。
心の中を忘れられないフィルムがゆっくりと音も無く回っている。
忘れてしまいたいような思い出さえも、繰り返し、繰り返し回り続けた。

私は人気のない電車の座席に腰かけると、窓の外の景色の向こう側にある “恋していたあの頃”に思いを馳せていた。
彼…滝沢秀明は、私の心に今も切ない思いを残したままだった。
許されるものならばもう一度、初めて出逢って別れたあの場所からやり直したい。
その為ならどんな報いを受けてもかまわない。
彼が私を許してくれると言うのならば…





秀明とは、桜吹雪の舞う公園で出逢った。

私のファインダーの中に忽然と現れた、柔らかな春の日溜まりのような横顔の青年 ・・それが彼だった。
その一瞬、シャッターを押してしまった瞬間から、彼の全てに心奪われた。
彼が芸能人で私とは程遠い世界にいる人だって、あとで知った時には もうとっくに手遅れだった。
その表情の一瞬一瞬が、その言葉のひとつひとつが私を惹きつけて離さなかった。

私達は夏が盛りを迎える頃には、もう恋に夢中だった。
彼といるとわけもなくドキドキして、なんとなく甘くて、ちょっぴりこわかった。
そう・・素敵に甘くて、ちょっとだけこわいんだ。
自分が自分じゃいられなくなるような、そんな不思議な感覚だった。

ずうっとそんな思いに揺れ続けていたかったはずなのに、 私はそんな反面、デザイナーを夢見ている自分に疑問を抱き始めていたんだ。
宝飾デザイナーを目指していた私は、あの頃大きな壁にぶちあたっていた。
このままの自分でいいんだろうか?
なにか突き抜けていくには、この状況を変えなければいけない。
そんなことを考えていた。

私の生活から、彼との時間を取り除いてしまったら、 後はつまらない、韻を踏むだけのような毎日しか残されていないのかもしれない。
新しいデザインも浮かばなかった。

そんなあの頃、イタリアへ留学する話が持ち上がった。
違う土地へ行けば、違った文化と接触すれば、 私の中で新しい化学反応が起こるかもしれない・・。
それからずうっとその思いは私を捕らえて離さなかった。

私は半ば決心した。
韻を踏むだけの生活とは別れを告げなければいけない。
半ば…というのは、もしも秀明が‘行くな’と言ってくれたら 私はその言葉を振り切っていくだけの自信もなかったのだ。
そしてその事を秀明に話した。
彼は‘行くな’とは言わなかった。
‘君は君の極める道をいくべきだ’という 意味あいの言葉を私に向って発した。

ちょっと寂しかったけれど、あの時のふたりには仕方のないことだった。
私たちは、お互いに恋愛以外に大切な夢をもっていた。
夢を現実にするための旅の途中で私達は出逢ったんだ。

旅立つ当日の朝まで、私達は一緒にいた。
そしてお互いの思いを確認した。
たとえ離れていても、心はいつも結ばれているって
お互いを愛する気持ちは変わらないって
そう固く誓い合ったはずなのに・・。

それから一年もしないうちに
私は秀明との誓いを破ってしまった。





イタリアへ行った美羽とは
メールのやり取りをしていた。

最初のうちはそれこそ一日おきくらいだったのが、
一週間に一度位のペースになり、
あんなに‘寂しい’‘会いたい’と言っていた彼女の呟きも 気が付けば只の近況報告に変わっていったんだ。

ある日彼女から初めて画像付きのメールが届いた。
見知らぬ女性と男性が彼女を間に挟んで 楽しそうに笑っていた。
メールによると、向こうで知りあった友達らしい。

でもなぜだかその写真の男性がとても気になった。
右手で美羽の肩を抱き、 顔を彼女の方に向け、何か言っているみたいだ。
その言葉に反応しているのか、 彼女はとても楽しそうな笑顔を見せている。
ただの友人のはずなのに・・。

その笑顔を見るたび、俺の胸は苦しくなった。
そして、嫌な予感はあっという間に ジェラシーという名の暗い熱情に姿を変えて行った。

君からの知らせがどんどん間隔をあけて行く。
俺は遠い空を眺めては、海の彼方へ思いを走らせた。
‘ねえ、今君の瞳に映っているのはどこの誰なんだ?・・’
答えが返ってくる筈も無い心の闇に向って呟いていた。

そんなモヤモヤとした日々が続いていたある日、 美羽から国際電話がかかって来た。

「元気?久しぶりに電話しちゃった。」
「・・最近メールがこないけれど、忙しいのかな?」
「…別にそういう訳でも無いけど・・。」

本当なら嬉しいはずなのに、なんだかお互いにぎこちなかった。
会話が途切れる間がいたたまれない。
その無言の間隔にふたりの心の距離を感じてしまった。

君は来週ビザの書換えで、日本に一旦帰国するという。
「秀明に話したいことがあるの。」
「今、電話で話していいよ。」
そう俺が言うと、
「電話なんかじゃ話せない。ちゃんと会って話しがしたいから・・」
彼女はそう言って、その時はそれで電話を切った。

それがふたりの別れの序章だったんだ。





桟橋にあるこの店は、いつも恋人同士で溢れていた。
美羽が日本にいた頃はよくふたりで訪れた。

俺は海側に面した奥の席で、一人彼女が現れるのを待った。
美羽はなかなか現れなかった。
15分が30分くらいに感じられ、俺は壁の時計に何度も視線を巻きつけた。
30分が経過した頃やっと彼女は姿をみせた。

「久しぶり・・ごめんね、遅れちゃって。」
最後に会った時から時間を飛び越えたみたいに 美羽の笑顔は何一つ変わらず、俺には愛しく思えた。
でも彼女の笑顔のほんの少しの陰りにも気付いていた。

向こうでの彼女の生活、俺の近況・・たわいのない話しを取りとめもなく続けた。
そして、とうとう二人とも言葉が途切れがちになった。
彼女のいたたまれない空気がこちらにも伝わってくる。
俺は美羽に向って、言いだせなかったその言葉をきりだした。
「ところで、電話じゃあ話せないことって、なに?」

美羽はテーブルに視線を落としたまま、 大きくひと呼吸すると口を開いた。
「うん。・・私ね、あなた以外に好きな人がいるんだ。
いい訳はしたくないし、このまま黙っているのも嫌だし・・全部私が悪いのだから。」
そう一息に言い終えると、今度はその視線を俺に向けた。

「なんとなくそんな気はしていたけれど、どうしたらいい・・」
俺はしばらく言葉を失った。
こうして会っているのは、電話なんかじゃ心の中までは読めないから?

硝子張りの外の空を見た。
まぶしい青空が輝いているのに、なぜだか雨が降っていた。
空の神様はどうやら故障しているみたいだ。
俺の心と思考も故障しかける寸前だった。
‘アナタイガイニ スキナヒトガイルンダ…アナタイガイニ スキナヒトガ…アナタイガイニ・・’

「ごめんね。でもこのまま黙っていることはできない。
私はずるいの。あなたのことを好きなのに、ひとりじゃいられなかった。
もう私達・・終わったほうがいいよね?」
美羽は必死に涙をこらえているみたいだった。

「君はずるくなんかないよ。人はひとりじゃいられない。
俺以外の誰かを好きになっても、それは生きていくうえでの自然な成り行きで、 自分のことを責めることなんてないんだ。」
そう、ただ俺たちの時間はきっとすれ違ってしまっただけなんだ。
俺は泣きだしそうな君を目の前に、何度もそう自分に言い聞かせていた。

「ねえ、初めて君と会ったあの場所に行ってみない?
きっと桜で満開だろうな・・」
俺の問いかけに、美羽は視線を落としたまま肯いた。





私と秀明は、初めて出逢ったあの桜の木の下にいた。
彼は私をひとつも責めはしなかった。
それどころか、泣きだしそうな私を心配そうに見つめるだけだった。

その日は天気雨の降るような変な気候で、ちょっぴり肌寒く、 秀明はジーンズのポケットに両手を突っ込んだままだった。
彼のことを好きな気持ちに変わりはない。
なのにどうして・・淋しいからって別の人を好きになるんだろう。
ほんの一瞬でも彼の反応を伺っていた、さっき迄の自分のことも許せなかった。
私は本当にずるい女だった。

「桜はけなげだよね。
雨の日も、風の日も、時には雪だって降るような厳しい気候でも 一生懸命に花を咲かせようとしている。だからきっとこんなに綺麗なんだ。」
秀明はそう言って、あの日シャッターを押した瞬間にタイム・スリップしたように 青い空に咲き誇る桜を仰いだ。

身を切るような冷たい風が吹いた。
私は肩をすくめ冷たい両手に息を吹きかけた。
すると秀明はポケットから出した右手で私の手を握った。

私達は手をつないだまま、凍り付く空気の中で咲く桜をしばらく眺めていた。
彼の手はその繊細な外見とは違って、以外に男らしい大きな手だ。
私の冷たい手を包んでいる彼の暖かいぬくもり。
でもこの手はもう少ししたらはなされて・・もう二度とつながれることはない。
別の誰かに心を向けた時から、そんなことは覚悟していた筈なのに 心はざわざわと波だっていた。

「もう・・行くね。これ以上一緒にいたら辛いから。」
最後の言葉を切りだしたのは秀明のほうだった。
彼の暖かい手は私の手からはなれた。

「じゃあね・・」
“さよなら”って言えずに、 そう言って私は秀明のぬくもりの残った左手を小さく振った。
右利きの私は左手じゃあ何もできないはずだったのに、 二人の恋に左手でピリオドを打っていた。

彼に背を向けた途端に風が吹き、はなびらを舞い踊らせた。
桜吹雪の中、私は一度だけ振りかえったけれど、 舞い散る無数のはなびらが彼の姿をかき消した。
気が付いた時には電車の窓にもたれて泣いていた。

それから数日後、イタリアへ戻ったけれど 秀明との別れは、新しい恋人では埋まる事はなかった。
私は馬鹿だった。
恋だと思いこんでいただけで、 それは淋しさが引き起こした錯覚に過ぎなかったんだ。

イタリアで出逢った人とはそれから数ヶ月後に別れてしまった。
新しいデザインを産みだすようなインスピレーションも わいて来るはずもなく 傷心のまま一年ほどで日本へ帰国した。

私に分かったことといえば ミラノもパリも渋谷も・・都市と呼ばれる街は どこも大差はないってこと。
大切なのは、その文化を受け入れる柔軟な感性で 私にはそれだけの心の余裕がなかった。
そして、淋しさに負けて大切な愛を失ってしまった。

あの頃のことが映画のシーンのように 次々に浮かんでは消え 気が付くと見覚えのある駅に到着した。
私は改札を抜け、公園へ続く道を歩いた。
もう一度、秀明に会いたい。
今ならきっと迷わずに彼だけを見つめられる。
あの日彼に振った左手で 今度は彼の手を掴んではなしたくない。

二人が出逢った場所にある、あの桜の木が視界に入った。
まだ八部咲きの桜は、風に愛らしい花弁をふるわせていた。
その木の下に誰かが立たずんでいる。

‘彼に会えますように・・’私は心の中で祈りながら その場所に向って、まっすぐに歩いていった。





別れを決心するように、
俺は美羽とあの初めて出逢った桜の木の下にいた。

寒そうな彼女の手を握った。
本当はそのまま引き寄せて、抱きしめてしまいたかったんだ。
‘どこにも行くな’って言いたかった。
でもできなかった。
そして君を嫌いになることもできなかった。

美羽の心は俺ともう一人の誰かとの間で揺れ続け 今にもふたつに引き裂かれてしまいそうだった。
そしてそう思うことで、俺は美羽を許したんだ。

「もう・・行くね。これ以上一緒にいたら辛いから。」
別れを切りだせずにいる美羽に向ってそう言った。
でも“さよなら”って言えない俺は、 両手を再びポケットに突っ込んだ。
美羽は今にも泣きだしそうな顔をして 「じゃあね・・」って言って、小さく手を振った。
それが俺たちの最後になった。

美羽が背を向けた瞬間、風が吹いた。
風は無数のはなびらをまき散らし、桜吹雪が彼女を追いかけるようだった。
言葉に出来ない思いのすべてが 桜のはなびらと共に彼女を追いかけた。
いつか…きっといつか・・君に届くことを信じて。

携帯のメールの着信音が部屋の隅で鳴った。
その音で俺は我に返った。
誕生日のメッセージだった。
今日は2004年3月29日…
俺の22歳の誕生日だ。
こんな日に、君のことをこんなに鮮明に思い出すなんて・・ 不思議な胸騒ぎがするんだ。
掃除なんかしている場合じゃない。
俺は洗面所で顔を洗うと、服を着替えて車に乗りこんだ。

美羽に会えるような気がする・・
そんな思いで胸がいっぱいになった。
気が付くと初めてふたりが出逢った場所に来ていた。

美羽と出逢った木の下に立つと まだちょっと寒そうに桜が咲いていた。
ここであの日俺は柄にも無く桜の花に見入っていた。
振り向くとファインダーを覗いている彼女がいたんだ。

俺はあの日と同じように振り向いてみた。
木々の向こうから大きなバックを肩から掛け、 カメラを持った女性がこちらに向って歩いてくるのが見えた。
その姿はどんどん大きくなった。

“さよならは未来の為にある”
その言葉が真実ならば、俺はもう二度と迷ったりはしない。
君を誰にも渡さない。

俺は目を凝らして、やってくる人影を見つめた。
こちらに向って歩いてくるのは 美羽…まぎれもなく、君だった。
神さまが俺に与えてくれた 最高のバースディ・プレゼントだった。




THE END



[top]