第1章 |
2004年1月 有羽 作 |
僕は君を思い出す
秋のしんとした夜空に 永遠に太陽を追い続ける 三日月の悲しみをみたとき 柔順な薔薇が 冬の静寂の中で眠るとき 僕は君を思い出す ブンブン音をたてる昆虫が 芽吹く春の若葉に恋をするとき 夏 激しい雨と風とが 稲妻と共に大地を打ちつける時 君は知っていた 君自身になるってことは 泣き叫ぶ嵐の中に 君一人立っているってことだ 君がいた僕の人生の春 それは永遠に僕の中で輝く 君は春のたおやかな風 そして僕を貫いた夏の稲妻 |
今夜もこの窓から見える俺の小さな四角い空には、青白い三日月が輝いていた。 君のこと忘れることなんて一日だってできやしない。 ‘私の心にはいつも何かが足りないの…いつもどこかが欠けているこの月みたいに。’ 彼女はそう呟いて空を見上げていた。 だから、こんな夜は君のこと思いださずにはいられない。 もう、永遠に抱きしめることのできない、淋しがりやの君のことを…。 「この前のオーディションの結果分かったんですか? それって、出られるってことですよね? あ、はい、分かりました。ありがとうございました。」 携帯電話を握りしめた手が微かに震えた。 ‘やったー!’心の中で密かに呟いた。 ここまで来るのに何回も挫折感を味わった。 その度に、‘今回の役とは相性が悪かったんだ。それにこんな数分間で私の良さなんて分かって貰える訳がない。’ そう自分に言い聞かせては、やる気を奮い起こしていた。 私、佐伯 真珠(さえき まじゅ)は無名の女優。 “女優”と言っても今はまだバイトとの掛け持ちだ。 ギャラはやっと出るようになったけれどとても生活できるようなレベルではなかった。 それに、16歳で高校を中退した女の子が、やりたいことを続けていくには世間の風は冷たかった。 仕事を選べるような立場ではなかった。 従って必然ともいうべき流れで、歳を少しだけごまかして水商売にも手を染めた。 でも、“朱に交われば赤くなる”という言葉に例外はないみたいで、芝居への影響を恐れた結果、半年足らずでその店も辞めてしまった。それからは、色々な職を転々とした。 友達の紹介で雑誌モデルの仕事もしてはみたけれど、私の性分には合わないみたいだった。 今は役者の仕事のない時は、郊外にあるトラットリアでシェフのアシスタントをしていた。 シェフの中島氏はオーナーも兼ねていて、私の役者の仕事のことも理解してくれていた。 舞台公演が始まると、何日もお店を休むことになってしまったが、それでもいつも快く休暇をくれた。 それどころか、ピザをいっぱい焼いては差し入れしてくれたり、東京で一人で生きている私にとっては、いわば親代わりのような人物だ。 今回、初めての連続ドラマの出演が決まり、真っ先にシェフに報告した。 「チャンスなんだから、納得ゆくまで頑張らないとな。出来る限り協力するから。」 シェフはそう言うと、店のスタッフ達と一緒にシャンペンを開けて皆でお祝いしてくれた。 今までだって、TVの仕事は少しだけれどこなしたことはある。 でも、それは再現フィルムのようなどうでもよい芝居だったり、ほとんどエキストラ同然の出演だったり、演技を要求されるという次元とは程遠いものだった。 ただ、チャンスが欲しいから、そんな仕事のオーディションもいくつか受けた。 そして、その度に私のささやかなプライドはズタズタにされた。 早い話しが“言われた通りにやればよい。 出来ないのならば使わない。” そう、演技うんぬん…などはどうでもよいことだった。そんなもの、誰も求めてはいなかった。 私は考えた。自分は何を求めて、役者を続けようとしているのか? 本当は良く分かっていたはずだった。 でも、時々自分を見失いそうになるんだ。 そして、もう最後にしようと心に決めて、今回のオーディションを受けた。 こんなに大きなオーディションは久しぶりだった。 もうどうでもよい。 ただ、自分のスタイルを貫いてみたかっただけだった。 結果は下された。 そして、それがこの先の私の人生にとって、どれほど大切な意味を持つかなんて、このときは知る由もなかった。 私は久々に劇団のアトリエを訪れた。 ここを辞めてからも仲間との関係は変わらずに続いていた。 演出家の西崎さんが亡くなって、もうすぐ二年が経つ。 生きていた頃は、彼をとことん恨んだこともあった。 死にたいくらい追い詰められていた毎日。 この人さえ居なければ私はもっと楽になれる。 そんなことをただ漠然と思いながら日々を送っていた頃もあった。 後輩達の稽古を眺めながら、あの頃の自分とダブらせていた。 あの頃、生きる事があまりにリアルで、体は疲れているのにいつも神経は張りつめていた。 様々な感情が常に剥き出しになっていて、ささいなことで泣いたり怒ったり、笑ったりした。 自分が一体何者か知りたいだけだった。 「私は馬鹿です。 私は馬鹿です!…」 そんな私の声に演出家の冷たい罵声が浴びせられた。 「声が小さい、もっと大きな声で叫べ!!」 「私は馬鹿です!私は馬鹿です! 私は…」 思わず言葉が詰まった。 こんな短いセリフをただ繰り返し叫ぶだけのことに、どんな意味があるのだろう …ただ、脅迫にも似た演出家の声に条件反射のように叫んでいた。 きっと、何も知らない者がこの光景をまのあたりにしたら、どう思うだろう? きっと誰もがぎょっとしてその場を立ち去るか、さもなくばそのまま、その異様な光景に目が釘付けになってしまうだろう。 私はひたすら叫んだ。声をからしながら…。 「私は馬鹿です。私は…。私は…何も取り得がありません。でも、私は愛されたい!誰かに分かってもらいたい!」 セリフではない言葉が思わず口をついて出ていた。涙が止めどなく溢れても叫び続けた。 その時に初めて自分の本心に出会った。 私は芝居をすることで本当の自分を見つけようとした。 本当の私は弱虫で自意識過剰で、自信もないくせにプライドばかり高かった。 良いところなんてひとつもないと思った。 このアトリエに来ると、あの頃の必死な自分が次々に蘇って、少しいい気になりかけている私をいつも叱ってくれる。 だから、この場所は原点であり、神聖な場所だった。 窓から東京湾に沈んでいくセピア色の夕日の向こうに、気の早い、白くぼやけた細い月がうっすらと見えた。 何度も見た光景なのに、人には気分だけで同じ景色も違って見えるってぼんやりと思いながら、あたりが暗くなるまでいつまでも窓からみえる海を眺めていた。 つづく
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